#1.ご挨拶とLiveについて
恐らくこの文字列に目を通してくれている方々は、
何か始めたんだな、という興味のもと此処を訪れてくれているものと思う。
それ故に、長い自己紹介は省いても問題ないだろうか。
bookmanというソロプロジェクトバンドを執筆している木囃子といいます。
「不可視議論」名付けられた所属レーベルのウェブコンテンツが開始し、
第一回目の記事を綴れたのは嬉しく思っている。
正直、本来の表現の場が制限されているというのは否定しようのない事実で、
SNSも得意とは言えない人間なのに加えて、
何度か挑戦しようとしていた(挫折した訳ではないが)生配信の様な活動も、
基本的にアルコールとセットでないと(私が)保たないという理由が故に、
手軽さを求めたにも関わらず、自らのハードルを上げてしまった。
その中でじっくりと紡いで、何度も振り返り確かめて、
少し怯えながら二進法の海へと流す様なスタイルのコンテンツは、
原点回帰とも言うべきかもしれないが、向いているのだと改めて思った。
それが今あなたの世界の海岸に打ち上がったという事なのだろう。
コンセプトもボリューム感も縛られず、自由にして良いとの事なので、
不定期かつ日記の様な使い方がメインになるかと思われるが、
どの様な形であってもご興味があればお付き合い願いたい。
ご挨拶に留めておこうかとも思ったが、
せっかく良いタイミングという事もあるので、
ほんの少しばかり数ヶ月前9/5に行われたライヴについて少し綴ろうと思う。
ソロプロジェクトバンドという活動形態故に、
バンドでのステージを創るという事は、予想以上に難しいのだが、
結論から言えば、それでもその形で表現する場所を求めた事は間違いではなかった。
今そう思えている事を自身で驚いている、いや望んではいた事ではあるから納得し噛み締 めているというべきだろうか。
自分は夢を見る人達の中で呼吸をする事が苦手だ。
どこを向いても目が眩む劣等感は理由の一つだが、
自分の核になる部分が、掴まれるでも掬い上げるでもなく、
無関心を隠す様に撫で回される事が嫌いだからだ。
ライヴハウスでその日限りに称えあって、
赤の他人へと戻っていく。
SNSでの繋がりは儀礼としての存在証明。
そこに意味を見出せた事は0ではないが限りなく少ない。
表舞台を夢見て、裏側も眺めてきたからこそ、
自己防衛の為と仕分けを続けてきた。
だからこそ、自らの命でもある楽曲を鳴らして欲しいと思える人に出逢うのに膨大な時間 を費やした。
その場所に居続ける事は決して容易ではなかったとも思えるし、
それでも私と居る事を選んでくれたメンバーには感謝の言葉以外見つからない。
準備期間の間にも、探る様に繊細なやりとりを重ねて、
表面上ではない揺らぎを見逃さんと心の鼓膜の様なものをを張り詰めて。
コロナウイルスの影響で出演を予定していた公演の延期等はあったにせよ、
数年越しに自らの現在地を知ったのが、先のステージ上だった。
そこで最初に述べた様に、
ようやく間違いではなかったのだと思えたのだ。
ステージ直前、舞台袖で自分と同じ様な眼をしていたメンバーを見て、
(緊張感は増したが)自分の表現に対しての感覚が研ぎ澄まされた。
長く感じたかった空気がその場所を満たしていた。
ライブの後、頂いたお手紙や直接の言葉にも触れて、
今までの自分をも待ってて貰えたのだとも感じた。
この様な場所に書く事ではないかもしれないが、
過去・現在・未来を通して自己否定を続け擦り切れてしまった、
ここ数年の自分をやっと少し肯定出来た瞬間だったのかもしれない。
ライヴを目撃してくれた方へも、そうでない方へも、
これ以上を語るのは野暮だと思うので止めておくが、
この先を歩んでいく決意をした”我々”ロックバンドbookmanが描くものが、
今までよりいっそう、誰かを掬い取れる作品になる事を願う。
次回も2021.11.06に同じく東京町田THEPLAYHOUSEへの出演が決まっているので、
是非私たちの音楽に触れて頂けたらとても嬉しい。
結局、共に生きて会話がしたいのだと、
今ここに綴りながら思った。
改めてにはなるが、このコンテンツ「不可視議論」についても、
真面目な時もそうでない時もあると思うが引き続き楽しみにしていてもらえると嬉しい。
私だけでなく、敬愛する札幌の「you any a me」や「さなぎ」といった、
レーベルメイトの面々の記事も投稿されていくはずなので、
それぞれの言葉を、私も皆さんと一緒に楽しみにしていようと思う。
では、またどこかで。